未分類
     

優生学と人間社会

P11)
第2,3章では、ドイツ、北欧の優生学の歴史。「優生学」という言葉でヒトラー、ナチスを思い浮かべがち。しかしナチス以前ワイマール共和国時代に優生政策の素地は徐々に形成されていた。またデンマーク、ではナチスドイツより以前に断種法制定。スウェーデンでも三~五十年代まで優生学的不妊手術が強制されていた。

ワイマール期ドイツと三十年代北欧に共通するのは福祉国家の形成。
P12)
第5章。日本では戦前模索された優生学の学問と政策が本格的に実施されたのは戦後。優生学=ナチスドイツ=軍国主義/全体主義の戦前日本という連想によりはっきり認識されていない。

P23-24)
この学会でゴルドンが行った講演が、先に触れた「優生学ーその定義、展望、目的」である。彼はここで、「優生学とは、ある人種(race)の生得的質の改良に影響するすべてのもの、およびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」と定義し、学問的活動としては遺伝知識の普及、国家・文明・人種・社会階層の消長の歴史的研究、隆盛を極めている家系についての体系的な情報収集、結婚の影響の研究を行うこと、とした。そしてこう締めくくった。「優生学が通過しなければならない三つの段階がある。第一に、その重要性が厳格に理解され事実として受容されるまでアカデミック内部で普通の課題となること。第二に、現実的展開を真剣に考えてみる価値のある対象であると認められること。第三に、新しい宗教のように国家次元への意識へと導入されること」。
P29)
ところで、優生学に対する最大の誤解は、優生学は、極右の学問であるというものである。歴史の現実はこれとは逆で、本書でもしばしばふれるように、この時代、多くの社会主義者や自由主義者が、優生学は社会改革に合理的基盤を与えてくれるものと期待した。イギリスでは、フェビアン協会のウェッブ夫妻や、H・Gウェルズ、青年期のラスキ、経済学者J・ケインズなどがいた。新生ソ連にとって科学主義的な優生学は親和性のあるものであり、二〇年代には強力な優生運動があった。優生学は支配階級に奉仕し、帝国主義敵拡大を正当化するブルジョワ科学であるとする、よく知られたかたちの批判が現れるのは、二〇年代末になってのことである。
P34)
断種法が合憲となるまで
論理上、優生学には、よい遺伝形質を積極的に増やそうとする積極的優生学と、悪い遺伝形質を抑えようとする消極的優生学がありうる。しかし、よい遺伝形質を増やすための手段を考えてみても人間の場合は難しいため、現実に行われたほとんどは消極的優生学であり、その代表例が断種法の制定であった。断種は男性では輸精管、女性では輸卵管を、縛ったり切除する手術を行なって生殖を阻止する方法である。

・・・

一九〇二年、インディアナ州の少年院付き外科医H・C・シャープは、メンデルの法則を知らないまま、一八九〇年の国勢調査の数字からアメリカで犯罪者や精神症が急増している事実を引き出して、これをたいへん憂慮した。そしてその解決策として、断種の効用を説いた。彼は収容されている犯罪者四二人に断種を行ったが、これが実質上の優生学的断種の出発点とみてよい。
P74-75)
一九一八年に成立したワイマール憲法を特徴づけるものは、少なくとも2つある。
一つは、それが敗戦後の廃墟から出発した社会だということである。第一次大戦は、それまで人類が経験したことのなかった規模の大戦争であり、それが残した傷跡は、敗戦国ドイツの場合、いっそう、深かった。

第二に、ワイマール共和国は、憲法によって福祉国家にかたちを与えたドイツで初めての社会である。社会民衆党を中心に制定されたワイマール憲法は「所有は義務をともなう」というかたちで自由主義経済に一定の歯止めをっけ、包括的な社会保障制度の導入や労働者の権利の保証などによって、すべての者に「人間としての尊厳を有する生活」を保障することを社会の義務とした。
救貧法その他の福祉政策によって人間の淘汰が阻害されているとしたダーウィン、あるいは万人を病や死から守るための医療や公衆衛生の発達が「変質(退化)」に拍車をかけると説いたシャルマイヤー、あるいは「社会」の根幹にある「相互扶助」の原理を「種」の観点から批判したプレッツ ― 彼らの主張を念頭に置くとき、福祉国家と優生学はおよそ対極に位置するもののように思える。しかしながら、事実はむしろ逆で、福祉国家の建設を目指して出発したワイマールの時代に、優生学は、社会意識の面でも、また具体的な政策の面でも、ゆっくりと、しかし着実にドイツ社会に根をはっていった。ナチスの優生政策も、ブロックを一つ一つ積み上げるような、そうした展開の延長線上に登場すると考えるべきだろう。しかし、最後に積まれたこのナチスという巨大な岩は、反ユダヤ主義、恐怖政治、軍国主義といった要素を含んでおり、見方によっては、それまでの優生学の積み上げは、この岩によってかなりの部分が押しつぶされ、変形されられたと言えなくもない。

もう一つ憂慮すべきなのは、ワイマール期のドイツは、戦争後の廃墟からの出発、そして福祉国家の立ち上げという2つの点で、第二次大戦後の日本とよく似ているということである。無視できない違いもあるが、郵政政策が戦後になって本格化していく日本の問題を考えるうえでも、ワイマール期のドイツの動向は何らかの手がかりを与えてくれるだろう。

P75-76)
少なからぬ人が、優生学は戦争に向けた富国強兵政策の一つであると考え、またその視座から優生学を批判する。

しかしこの見方は今世紀の優生学のかなりの部分を逆に見えなくさせる。

多くの優生学者たちは、戦争を「逆淘汰」(生物学的に「優秀」な者が減り、「劣等」な者が逆に増えること)の一つとして真っ向から批判したのである。
P78)
第一次大戦後のドイツの状況は、今日のマルクス主義フェミニズムが「家父長制的資本制」と呼ぶもの、すなわち、女性たちを市場での労働から閉め出し、家族という私的領域に囲い込みながら、そこで労働力の再生産に向けた子どもたちの養育や、労働力として期待できなくなった老人、病人、障害者の介護に、彼女たちを無償で従事させるというあり方が(上野千鶴子『家父長制と資本制』)、そのままでは理想としても、もはや立ち行かないというものだった。そうした状況の中で、福祉国家としてのワイマール共和国は、従来、家族という私的領域で女性たちに押し付けられてきたさまざまな役割を吸い上げ、その社会化(国有化)を目指した。「母性は国家による保護と配慮を求める権利を有する」というワイマール憲法の規定にも、そのことはよく現れている。

しかし同時に、それはヒルシュが明言したように、人間の生命が国有化=社会化されること、国家社会が家族という敷居を取っ払いながら、人間の生命の維持や再生産に深く介入していくことをも意味したのであり、そこにはまた「権利」と同時に「義務」が混入されていく。