読書

中村好文 暮らしを旅する書評

暮らしを旅する 中村好文

建築家、中村好文さんのエッセイ集、のような本です。 真四角で、装丁がかわいらしい。本文中にも述べられるフレンチレストランのランチョンマット。 「ダスティンホフマンの映画に出てきた本棚の高さが気になる」という話は、建築家ならではのようですが、実際には「気持ちいい縦横比」とか、ちょっとした空間とモノの収まりとか、そういうものは「あるよなあ」と実感します。 個人差はありますが。 ちなみに細かいところですが、私は、紙のサイズでもA版よりもB版の方がスキです。 真面目な話はA版、そうじゃなければB版という感じもありますが。 ちなみに本書は正方形。 余白や写真のサイズ、行間も、収まりの良さ、文章とのマッチ…
terakaz
4年前

一神教vs多神教 岸田秀 (3/3)

-自我は個である必要はないんですね? ●自我そのものが他者との同一視で出来ていますから、もともと個ではないんです。自我は元々他者を含んでいるのです。 ●本人が正しいと思っている自我のあり方とは、自我が正当に敬意を払われているということです。したがって、迫害され、差別されているという状態は、単に被害を受けている、苦しめられている、損をしているということではなくて、正義が失われている状態です。自我はこの状態に耐えれられません。ここが重要な点です。迫害され、差別されている状態から脱出しようとする企ては、単に、受けた被害、苦しみ、損失の保証を得ようとするのではなくて、失われた正義を回復したい要求として…
terakaz
11年前

一神教vs多神教 岸田秀 (2/3)

●一神教が人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしているということです。結局、自我というのは病気で、自我の強さはその病気の進行度のようなものだけど、その場合の最大の難問は、自我の強い奴と、弱い奴が対決すると、必ず自我の強い奴が勝ってしまうということなんですよ、つまり、人類は、重い病気の連中のほうが勝つという絶対矛盾状況に置かれているということなんです。 ●一神教というのは世界を一元的に見る見方であると考えています。つまり世界観です。 ●ヨーロッパの世界征服の道具に使われたキリスト教は、「神は死んだ」とか言われて、神の存…
terakaz
11年前

一神教vs多神教 岸田秀 (1/3)

●(キリスト教を)ローマ帝国が熱心に押しつけたといっても、押し付けられたヨーロッパの側にそれなりの素地。戦後日本人は受けつけなかった。ユダヤ教に引き続いてキリスト教も被差別民族の宗教だったからヨーロッパ人(白人種=人類最初の被差別民族)が受け入れやすかった。 ●強い自我を実体的に想定することはできない。自我は幻想。強いものに支えられているから強い。唯一絶対神もしくは正義を背景に強い自我を持った。 追い詰められた過酷な状況では自我が危機に瀕する。そのため唯一絶対神が必要になる。 ●後ろ盾がないと自我は成り立たない。それ自体で存立できる実体ではない。 ●それは神であってもいいし、なくてもいいし唯一…
terakaz
11年前